死化粧(エンゼルメイク)について

看取りと死化粧

祖母が家族に看取られ自宅で亡くなってから40年以上になります。
子供心に母と叔母たちが、祖母の体を拭いて着物を着付け、紅をさしていた姿を記憶しています。医療の発達によって、重病人は家庭から病院へ移行し、家族が看取ることは少なくなりました。看取りの延長にあった家族が行う死化粧はしだいに風化し、姿を消しました。
私は、死化粧は、古今を問わず看取りの延長線上にあるものと考えています。
現実の問題として、家族が看取れるか否かは、病気の種類や重篤性、治療の難易度などが大きく影響します。さらに病人の世話をする労力、経済、生活スペース、家族関係といったものまで考慮しなくてはなりません。
今日、家族が直接看取る機会は、ホスピスや緩和ケア病棟への入院、キリスト教系(一部)の特別養護老人ホームへの入所、自宅療養などの場合です。上述のケースでは、家族は医療従事者や介護士、ヘルパーの献身的な支えを受け、終末期を過ごします。家族と家族をサポートする人たちが、心を一つにして病人を看取り、その延長に身支度、化粧が行われることは、尊い自然な成り行きです。
看取りが行われたケースに対し、病状の急変や安定していたにも関わらず不測の事態は起こります。そのような家族の多くは、混乱し、平常心を損ない、心の整理がつかない様子が見られます。急死や事故など突然の場合には、衝撃の激しさに感受性が疎外され、無感動な状態が起こることもあります。死の衝撃が激しいほど、死亡直後には化粧をするなどという気持ちは起こりません。

病院から離れると同時に、葬儀の準備が始まります。
永遠の別れが訪れたのだという実感がわかないうちに、葬儀という新たな重責が家族にかせられます。家族にとって、葬儀を行う日までは、葬儀の準備と平行して、別れへの心の準備をする大切な時間です。
家族の多くは亡がらを自宅で看取ります。
わが国には、喪の慣習があります。その中でも、亡がらを看取る慣習は、家族に別れへの心の準備を促し、少しずつ別離を実感させていきます。例えば、線香を絶やしてはいけないという慣習は、家族が絶えず故人に寄り添うことを促します。寄り添うことで、動揺する心を静め、別れを受け入れる心の整理の時間を与えます。
旅支度(身支度の一種)をする慣習は、体に触れる機会を与えます。体に触れることで、冷たさ硬さといった体の変化を体感します。心が死の事実を受け入れることを促すとともに、身支度を整えることで旅立つことを意識づけます。
ご遺体を棺に納める行為は、生者と死者の隔たりを決定的なものにします。都市型社会では、慣習にこだわりのない家族や、家で亡がらを看取れない家族もあります。慣習を行う行為が重要なのではなく、家族が別れへの心の準備をすることが大切なのです。
古くは、死化粧は家族が行い、身支度とともに旅立ちを意識づけるものでした。私は、死化粧の位置は、亡がらの看取りとして行われ、昔も現在も変わっていないと考えています。家族以外の第三者が行う死化粧は、家族とともに心を一つにして行われたときに、その役割を果たすと考えます。そして、死化粧された顔は、火葬が終わって姿が消失した後、遺族の心に留まることを十分理解し、遺族の心に遺すのにふさわしい顔であってほしいと願います。


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